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AIに駆逐される未来〜歌い手が生き残る方法〜

2024年はAI元年と言われています。

 

 

ChatGPT等の文章作成AIや、

sora等の画像、動画生成AIの台頭により、既にその職を奪われつつある分野もあります。

 

 

そして今年、2025年にはそのAI技術もさらに目覚ましい進化を遂げると予想されており、

後5年後の2030年が一つの区切りとして、ほとんどの芸術分野、テクノロジー分野、産業分野でAIにより多くの職が奪われるのではないかと言われています。

 

 

 

そんな中で、

 

 

 

果たして「歌ってみた」の歌い手達は、どうすればAI歌い手に駆逐されずに生き残ることができるのでしょうか?

 

 

 

 

既にYouTubeやtiktokにおいて、AIユーチューバーやAIティックトッカーが数十万、数百万のフォロワーを獲得していたりします。

容姿や声が限りなく人間に近く、さらにめちゃくちゃカッコよかったり可愛かったり、

最高にいい声で歌がうまかったりする訳です。

 

 

 

さらには人間が労力をかけて制作するその何倍ものスピードで驚異的にたくさんのコンテンツを投稿できて、リスナーを飽きさせることがありません。

 

 

 

 

もはやリスナーからしてみれば、完璧な存在がそこにはある訳なのです。

 

 

 

 

 

 

 

では本物の人間が歌い手をする意味は?歌ってみたをする意味はどこにあるのでしょうか?

 

 

 

 

 

簡単に思いつくところで言えば、

 

・人間にしか出せない味がある

 

・人間にしか出せない温かさがある

 

・ただ上手いだけじゃないオリジナリティーがある

 

 

などがAIに勝るポイントなのではないかと思います。

 

 

 

 

 

ただ、それすらも学習したAIが人間のような「クセ」や「人間味」までも出してきたら?

 

 

 

 

 

もはや人間でもAIでもリスナーからしてみれば変わらない、

むしろたくさんのコンテンツを量産してくれるAIの方がよく見られるようになるのは当然の流れのように感じます。

 

 

 

 

 

 

 

そもそもエンタメとは「暇つぶし」であり、リスナーは大量の情報を消費する「消費者」でもあります。

 

 

 

 

安くて美味しくて量が多い商品があれば、消費者がそれを選ぶのは当然と言えるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

なので、AIが量産するコンテンツのクオリティが上がれば、エンタメ業界で人間が時間をかけて作品を作る意味などなくなっていくのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

これは時代の流れ、

 

 

 

 

 

 

 

世界の方向

 

 

 

 

 

 

 

 

止められないものなのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は進化を求めます。人は未知を求めます。

それがもし破滅の道だったとしても、人は進化を止められないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからそうなった時に、

 

 

 

 

 

 

 

最後に残る「歌ってみた」の意味だったり、歌い手の意味は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聴く方(消費者)ではなく、歌う方(生産者)の気持ちなんじゃないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

つまり「歌いたいから歌う」それだけ。

 

 

 

 

 

 

消費者はAIで作ったものを消費するだけの存在となり、

生産者はただ消費されることのないものを作り続ける

 

 

 

 

 

 

 

 

そこには需要と供給がなくなり、

 

 

 

 

 

 

 

 

消費されるために生産するのではなく、

 

 

 

 

 

 

「生産するために生産する」

 

 

 

 

 

 

そんな時代が来るかもしれません。

 

 

 

 

 

 

そう、エンタメとは所詮「暇つぶし」なのですから。